江戸時代から宿場町として栄えた平塚ですが、国有鉄道が横浜駅から国府津駅に延伸されたことにより、1887年(明治20年)に平塚駅が誕生します。
これにより、平塚宿の辺り(現在の平塚市平塚など)から平塚駅の方へ、商業の中心も少しずつ移っていきます。
明治・大正、昭和と、平塚は、商業のまちとしても、大いに賑わったようです。
有名な話では、「十字屋」や「長崎屋」などは、平塚が発祥の地とされています。
十字屋は、1923年(大正12年)に、平塚で十字屋呉服店として創業したとされています。
1996年(平成8年)まで、平塚店がありました。
長崎屋は、1948年(昭和23年)に、長崎屋布団店として設立されたとあります。
2008年(平成20年)まで、平塚に店舗がありました。
現在もある店では、「梅屋」が1907年(明治40年)の創業です。
1963年(昭和38年)には百貨店本館が新築されましたが、当時の神奈川県南西部では最大規模の百貨店だったようで、相模湾沿岸という広大なエリアを商圏としていたそうです。
第二次世界大戦の終戦間近、1945年(昭和20年)の大空襲では、中心市街地の約7割が焼け野原と化すという壊滅的な打撃を受けました。
その復興と繁栄を願ってスタートした「平塚七夕まつり」が、現在も「湘南ひらつか七夕まつり」として続いています。
1970年(昭和45年)の七夕期間の売上が20億円に達するなど、この祭りは商業的にも大きな貢献があったようです。
戦後は、特に衣料品を中心に大きく発展を遂げたそうです。
昭和30年代の最盛期には、市の人口が11万人程度であったのに対し、商圏人口は60万人と推定されるほどの商業力があったと言われています。